米沢市: 白子神社

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概要・歴史・観光・見所

白子神社(米沢市)概要: 白子神社は山形県米沢市城北2丁目に鎮座している神社です。白子神社は案内板によると「火産霊命、埴山姫命、大宣都姫命の三神をまつる。和銅5年(712)の創建と伝えられ、明徳年中(1390〜3)置賜一郡の総鎮守となり、伊達、上杉氏歴代藩主の崇敬が篤かった。上杉氏十代藩主治憲(鷹山)は襲封の祈り誓詞を奉納している。社宝に鬼瓦があり、承平2年(932)小野良春の社殿再建時のものと推定される。県内最古の鬼瓦で市文化財に指定されている。 米沢市」 とあります。

白子神社の創建は和銅5年(712)に勧請されたのが始まりとされます。伝承によると神託が下り住民が桑の苗木を植えると蚕が多数生息し辺り一面が繭で白くなったとされ、住民が神意に感謝し祠を設け白い蚕が転じて白子神社と称するようになったと伝えられています。

当地の産土神的な存在で、歴代領主から崇敬庇護され、承平2年(932)には当時の出羽国国司小野良春が社殿を再建し、暦仁元年(1238)には置賜郷の地頭である長井時広が置賜郡の総鎮守として社殿の修復が行われています。

長井家が伊達家に滅ぼされると伊達家が庇護し、天正19年(1591)に伊達政宗が岩出山(宮城県大崎市)に移封になると、新たに領主となった蒲生氏郷が米沢城の鎮守として信仰しました。慶長3年(1598)、上杉景勝領になると米沢城には執政の直江兼続が配され、同年に兼続により社殿の改修が行われています。

慶長6年(1601)に景勝が米沢城に移封となり米沢藩を立藩すると、歴代藩主が崇敬し社領50石が安堵されています。

古くから神仏習合し「白子大明神」と称し別当寺院である宝珠寺又は大行院が祭祀を司っていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が廃され現在の社号である「白子神社」に改称し昭和2年(1927)に県社に列しています。

白子神社には社宝が多く元禄6年(1693)に吉良義周(4代藩主上杉綱憲の次男、吉良義央の孫、養子)が奉納した「白子大明神」の扁額と上杉鷹山(9代藩主)が倹約を誓って納めた「倹約誓詞」、平安時代の鬼瓦2面が米沢市指定文化財に指定されています。

白子神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行5間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。本殿は三間社神明造、銅板葺。中門は切妻、銅板葺、一間一戸、薬医門。祭神:火産霊命、埴山姫命、大宣都姫命。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-米沢市

白子神社:写真

白子神社
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